ローマ書7章1節~6節*1
こんにちは。
庭の家チャペルの牧師 伊藤と申します。
今日は、「神の為に実を結ぶ生き方」というタイトルでごいっしょに聖書を見ていきましょう。
「神の為に実を結ぶ」とはどういうことなのでしょうか。
ざっくりと言うと、「幸せな生き方」をするということです。
そして、それは4節の「神の為に実を結ぶ」生き方です。
どうしたら神の為に実を結ぶ幸せな生き方を選べるのか
こたえは‥‥4節にあります。
1.キリストのからだによって、律法に対しては死んでいる、ことによって。
2.死者の中からよみがえった方と結ばれていることによって。
というものです。
パウロはたとえを使って律法という古い配偶者(X誰々~)と死別し、その後キリストという新しい配偶者と幸せな再婚をした、というふうに書いています。
5節では「肉」というのが出てきますが、もう少し読むと「数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いて」ともあることから、「肉」とは、身勝手きわまりない利己的な生き方のことでしょう。
上手くいっているときは良いのですが‥‥
私たちは、日常の物事がうまくいっているときは、機嫌がいいものです。
あまり怒らないし、まあいいんじゃない、って言えます。でも、状況が変わって、立場が悪くなると、ここに書かれてあるように、「死のための実を結ぶ」という~行き詰まりが始まります。それは「神の為に実を結ぶ」幸いな生き方ではなく、死を象徴する歩み方です。
先日、人気女子プロレスラーの自殺というニュースがありましたが、やらせの問題で、濡れ衣を着せられたのでしょうか。誹謗中傷を苦に、命を絶たれたようです。自殺はいけないです。
でも自殺しようする人に、自殺はいけない!と言ってはダメだそうで、自殺したいその気持ちを率直にまず受け止めてあげることが大切だといいます。
イエス、サマリヤの井戸端で孤独な人のカウンセリング
新約聖書にイエス様がサマリヤの井戸端で、周囲から誹謗中傷されていたある女性と会話を交わされた記事があります。しかしそのときイエスはけっして女性を弾劾することはなく、しかもその婦人が思わず自分の問題点を自分の方から口にするほどまでにお導きされました。
旧約聖書のルツという人
これと似たようなお話が旧約聖書に出てきます。ルツ記という書です(旧約聖書は39の書からなっています)。
夫に先立たれたルツは、傷心のお姑さんに尽くしました。例えていうと、ルツは律法の呪い、律法という掟(おきて)の支配下で悲しい思いをして辛い日々を過ごす私たちの立場を表している人といえるのではないでしょうか。
不幸なことがあると
私たちは、自分を慰めるためにいろいろと努力します。でも、そのやり方が、さっきの「死のための実」とあったようにあまり建設的ではない、ただだれかを批判することを目的とするやり方であったり、また心を閉ざして人から孤立する生き方だったり~そして、みんな自分のことなんかどうでもいいと思っているんだとか、投げやりな生き方に堕してしまったりすることがあります。
ある人は仕事に打ち込むことで自分を支えようとするでしょう。
人との忠実な関係
でもルツという人の良いところは、つらいことがあっても与えられている人間関係に忠実だったということだと思います。
真実なナオミというお姑さんをかわいそうに思って、またナオミが信じる神を自分の神としたい、ルツはナオミの故郷のユダにまでついて行きました。やがてそれがステキなボアズとの出会いと再婚につながっていきます。ボアズはキリストの型です。
ルツは律法という恨みつらみを醸し出す不幸な歩みからの自由と、イエス様との幸いな再婚~クリスチャンとしての再出発する人の型として見ることができると思います。
死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。ローマ書7:4.
いいかえれば「永遠の新しい配偶者」、その霊的※な婚姻関係は永遠に続く関係で~それまでの死のための実~恨み心やねたましい思い、人とわかりえない孤立した頑固で寂しい生き方~律法の呪いから解放されて~愛、親切、平安、確信などの永遠に至る実を結ぶ生活をするためにあります。
心すべき点は‥‥
①キリストの体によって律法に死んだ者であることを認める。4節。
②死者の中からよみがえったキリストと霊的に結ばれていることを信じる。4節。
※「霊的」*2
聖霊の働き
最後に6節に「御霊」とあります。聖書でいう御霊とはなんでしょうか。
「御霊」はギリシャ語の「霊」の訳語です。またギリシャ語の「聖」(ハギュー)が付くと「聖霊」となります。聖霊は、聖書で神の第三位格です。「位格」とはキリスト教の神学用語で「人格」に相当します。神は父・子=イエス ・聖霊なのです。三位一体といいます。聖霊はイエスキリストを人生の救い主として歓迎する人に来て下さる神の霊です。
ケネス・へーゲンの証し
ケネス・へーゲン(1917~2003)
ある日、米国ケネス・へーゲンという牧師が次の礼拝の集いのために※異言で祈っていると、以前勤めていた教会のことが気になって来ました。もしや神のご意志は自分がかつての教会に戻ることでは?気になったへーゲンさんはさらに祈りました。断食をし、もし必要なら空に雲でそのサインを書いてくれるように神に祈りました。しかし神からの返事はありませんでした。
後日、奥さんにそのことを話すと、奥さんは「あら、そのことでしたら私も同じことを考えてましたよ。」でした。
そのときへーゲン牧師は、神のお導きとは、あたかも自分の考えかのように与えられるものだということに気づかされたそうです。
御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。ローマ書 8:16
神の聖霊は私たちの思いと共に働かれます。超自然的な徴(しるし)を求めるのではなく御霊の思いの中に導かれていくことを信じて進んでいこうではありませんか。※異言の祈りが出来る方は信じる人の霊と共に祈られる聖霊の祈り、異言を用いて、またそうではない方も、今日、イエス様を心のうちに迎え入れて、ごく普通に祈ればいいのです。
聖霊さまは(神の霊)私たちを導いて、神のために実を結ぶ歩み~確信のある日々へと私たちを導いて下さる祈りの霊なるお方です。
異言で主をたたえ、祈りましょう。
お祈りをいたします。
父なる神さま。
イエス様を私の人生の主、永遠の救い主として私の心にお迎えします。
神の霊、聖霊さまがいま注がれて、祈りをもって私が確かな結実ある歩みをすることが出来ますように。どうぞお導き下さい。
この願いを、イエス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン
※異言 *3
*1:7:1それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。 7:2すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。 7:3であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。 7:4わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。 7:5というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。 7:6しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。新約聖書ローマ人への手紙7章1節-6節
*2:聖書は人を肉体・魂・霊の3構造としています。霊はそのうち最も人の存在の奥にある「わたし」です。
*3:異言。使徒行伝2章に出てくる超自然的な祈りの言葉。霊のことば。理解できな言葉で祈るが、潜在的に神のご意志をもってとりなし祈ることが出来る祈り。ペンテコステ派、カリスマ派、などでは特に奨励されている。